岡田和人の作品読んでて、しばらくしてから気が付いたのは、

彼は食べ物が写真の加工されたものつかっていて、これはラズウェル細木の『酒の細道』の愛読者である私としては、違和感を禁じ得ない物でした。

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岡田和人って、食べ物に興味があんまりないらしい。

 

それゆえ、吉牛が旨いってエピソードが『いびつ』に出てくるんでしょうが、

 

そしてこんなふうな写真を加工して使用することの賛否両論いろいろあります。

 

わたしは、最近までそこまで熱心なマンガ読者ではなかったものですが、

たまたま、キンドルの無料マンガをきっかけに頻繁にマンガを読むようになったのはここ数年のこと。

そしてそのきっかけが、この『いびつ』でした。

 

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酒の場面では、岡田和人作品では定番のスーパードライ

 

写真加工したものをペタペタ張り付けるのは、私はもともとあんまり好きではなかったのですが、

でも、慣れてくると、ちゃんとうまく構成されているのもあれば、がちがちに窒息しそうなものもありですが、

岡田和人の作品は、キャラの動きの愛らしさとうまく融合され、そして心理描写の一環としてのスクリーントーンともいいバランスを保っている野であまり息苦しさがありません。

 

また、マンガ雑誌の発行部数が萎んでいくことで、作家の原稿料が削られる分、こういう加工技術で労力を削減しアシスタントの数を減らして経費削減してるんだろうか?と思ったりもしました。

そして、発行部数の減少が、アングラ化の呼び水となり、『いびつ』とか押見修造作品みたいなも野を後押ししているようにも思ったりしました。

 

そして、また、思ったのですが、

岡田和人の作品、特に、『いびつ』なんですが、

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脚本、戯曲なら、

(場面・・・柿口家)と、ト書きが指定すると同様な役割でしょうか、

家の二階の部分を見上げたコマが律儀に挿入されます。

 

そして、その家の二階の画も写真を加工したリアルなもので、

「そうか、岡田和人にとっては家とは食べ物や工業規格品のようにいちいち手を動かして描くほどには興味ひかないものなんだ」と当初は思ったんですが、

その割には、

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微妙にアングル変わった画像になったり、

しかも家内部もリアルな3Dデータを基にして精密に表現されていたりで、

家とか建築のこと好きなのかどうなのかというと彼は多分好きなんでしょうけれども、

 

 

んで、このト書き (場面・・・家)みたいな記号的表現として、家の二階のコマが挿入されるのは、押見修造も『惡の華』などにもよく見られるので、もしかすると最近の少年マンガによくある手法なのかもしれませんが、どうなんでしょう?

 

惡の華』と『血の轍』のスペインヴィラ風の家

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他の作品と比べてどうなんだろうかと調べるにあたり、なぜか私の手元にあるドラえもんと比較してチェックしてみたんですが、

いくつかの点で、「ああ、なるほどなぁ」と思わされました。

 

ドラえもん』より

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 屋根の二階のコマの挿入はドラえもんにも結構たくさんあります。

で、あるのですが、その使用上の意味は、

ト書き(場面・・・野比家)という使い方ではなく、

夜になった、朝になった、という時間経過を示すコマとして使用されるのがほとんどです。

言われてみりゃ当たり前なんですけれど、マンガで暗くなったから電気つけましょうみたいなコマっていちいちないですしね。それに室内で電気つけたのと昼間の自然光の違いを表現することもほとんど無理ですし。

 

この、外の天気や時間を表すために二階のコマは『いびつ』でも使われています。

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ドラえもん』でも『いびつ』でも主人公の部屋が二階ですから、二階を示すコマが挿入されているというのがあるでしょうが、でもそれ以上に、時刻と天気を表すに都合の良い太陽月雲そして空の色には一階ではなく二階のコマが必要ということのようです。

 

そして、『ドラえもん』では

ト書き(場面・・・のび太家)の機能を持ったコマはどれが担っているのかということですけれども、

ドラえもん』では律儀に家の玄関、門柱を描いたコマが挿入されます。

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40年前の『ドラえもん』と岡田和人押見修造の作品を比べれば異なる点はいくらでもあります。第一対象とする読者も、ドラえもんが小学生なら、後者の方は高校生以上を対象としており、

一直線に並べての比較は難しいのは重々承知ですが、

 

 

ドラえもん』のト書き(場面・・・のび太の家)の機能を玄関のコマが担っているってのは、『ドラえもん』の作品のテンポの遅さの原因の一つになっており、

今のやり方でしたら、

のび太が犬にかまれたとしたら、その後の玄関をくぐってドアを開けて、階段を上ってなんてコマは取り払って、

「ドラえも~ん、なんとかして。犬を殺して僕も死ぬ」

のび太君、また何を大げさな」

みたいな吹き出しを、家の二階のコマにかぶせることでテンポ早くするんでしょうね。

 

『いびつ』ですと、こんな感じです。

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ついでに言いますと、『ドラえもん』のテンポの遅さは、絵で説明せず台詞に頼るところが多いですから、長大な台詞を細かく区切ったコマに充てています。

『いびつ』だと、一ページ5コマくらいなのが、ドラえもんだと9コマくらいで構成されています。

 

 

 

『いびつ』の名セリフ。

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主人公の柿口さんの家は、二階の自室が実物大の球体間接人形の工房となっている。

球体間接人形と言えば聞こえがいいけれど、実際のところはできる限りリアルな手製のダッチワイフ。

 

まあ、そんなもん作ってるんだったら他の人を二階にはあげたくないんですが、

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押しかけてきた女子高生に殴られ、失神。「大切なオレだけの世界」への他者の侵入をあっさりと許してしまいます。

 

 

ドラえもん』の場合、興味深いことは、

『いびつ』のように、家の二階のコマを挿入して、ト書き(場面・・・のび太の家)の代わりにしない、もしくはできない理由は、

のび太が家の玄関をくぐったとしても、1Fは、

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ママが家計簿つけてる部屋だったり、

 

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パパが昼寝している座敷、がある場所だからです。

 

のび太の本当のテリトリーは二階の自室で、そこにはドラえもんがいて、やっと初めて安心できる場所となります。

そこでドラえもんから未来の道具を渡され、

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ドラえもん相手に道具の威力を試すことも多々ありますけれど、

大抵は一階でママかパパ相手に道具を最初に試してみます。

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そして、その威力を確かめると、玄関の外に出て行って

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ジャイアンたち相手に何かやらかすんですが、

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つまり、のび太の世界というかのび太を抱合する社会って、こうなってるわけです。

のび太の部屋 < のび太の家 < のび太の近所と学校

 

一階と二階で世界の階層が一つ違うわけですから、『ドラえもん』では玄関のコマが多く出てくるだけでなく、階をつなぐ階段のコマも非常に多く出てきます。

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『いびつ』とか『惡の華』で家の二階のコマが ト書き(場面・・・柿口さんの家)の機能を持つ記号として使われていることに対して私が感じた少々の違和感って、

このようなドラえもんのあり方の仕組みに由来するものだったようです。

 

 

のび太にとって本当のテリトリーは自分の部屋だけであり、一階はお小言をいうママの支配する世界で、それはしずちゃんジャイアンがいる外の世界と緩やかにつながっている、

それと比べると、『いびつ』は、柿口家には柿口さんと居候の円の二人しかいないから二階のコマをト書き代わりの記号にすることができるわけです。

 

 

 

 それでも『いびつ』、よくよく読んでみれば、

本当に濃厚な変態官能的シーンは、多くが二階でなされますが、

一階は、ほのぼのとしたエピソードが多いです。

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もしかしたらありえたかもしれない、円と柿口さんの家庭生活の幻はたいてい一階。

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座敷、居間、台所、客間等は普通の家庭生活を送る場所なので、『いびつ』のような閉鎖的な人間関係を表したマンガであっても、一階と二階の特徴の差異はやはりドラえもんのそれに近しいものとなっています。

 

『いびつ』って、主人公が22歳の大人なんですが、マンガの場面となるのはほとんどが家の内部、それ以外は円の学校と柿口さんのバイト先、とあといくつか。

ドラえもんとほとんど大差のない狭い地理的範囲の物語です。

それゆえ、ト書き(場面・・・柿口家)的なマーカーが多用されることになるのですけれども、

ドラえもんの場合ですと、時にはその狭い世界を飛び出して、びっくりするくらいのスケールの大きな話になることがあります。

そんな時は、

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ママ、パパ、ジャイアン、そんな狭い世界をすっ飛ばして、いきなり窓から飛び出すんですね。

 

それと比べると、『いびつ』の話って、柿口家の二階と外の世界って直接つながることが不可能で、

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この二階を直に外の世界とつなげる方法は、頭狂わせる以外なかったという悲劇的結末でした。

 

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では、押見修造の『惡の華』はどうなっているのか?ということですが、

やはりそこには、押見修造作品の示す家族観がにじみ出ています。そして桐生という地方都市を精密に再現した画を見ることで、わたしたちは、ドラえもんの時代の日本の光景との差異を無視することができません。