「こういうのでいいんだよ!」
自分的には、この十年間の一番の流行言葉はこれなんじゃないかという気がする。

孤独のグルメ Season7 DVD-BOX

 

もうネタは全部出尽くした観のあるきょうびの日本で新規なことをやろうとしても、それは奇をてらったものになるだけで全然心地よくならない。そんな不毛なことやめて、既存の最高のものをいい感じにメンテ手直してけばいいのになぜそうできないのだろう?
それにネット上では、すでに無数の既存情報が入手できるのだから、今更新しいコンテンツってそんな必要ないよね、それより必要なのはうまく自分の趣向にあったものにアクセスする方法だろ、という気がする。

 

 

最近、『天国大魔境』を読みました。

天国大魔境(3) (アフタヌーンコミックス)

 

そのちょっと前に『Gantz』と『Gigant』を全部読んで、それから『進撃の巨人』の最新巻と『たかが黄昏』の第一巻を読んでいたんですが、

たかが黄昏れ(1) (ビッグコミックススペシャル)
だから尚更なのでしょう、『天国大魔境』の読後感は「こういうのでいいんだよ!」でした。
上にあげた作品群ってみんな似てるじゃないですか?世界が崩壊した後に維持されているせせこましい社会での物語だったり、写真を加工したリアルすぎる背景にマンガキャラを無理やり配置する技法だったり、人の体が引き裂かれる際の身の毛もよだつような痛々しさだったり、……そして、そういう共通点が今のマンガというかコンテンツ産業のよくあるパターンで、今ってそういう時代なんだという気がします。これがものすごくうまくいっている場合もありますけれど(『進撃の巨人』は傑作と思います)、なんか全般的につらいんですよね、作品内の情報過多というか刺激要素の総和量とかが。それ以上になんかもう終わりの見えてしまったような人類がつらい。

まあ、それは個人的な要因もあるので別にいいです。

 

実のところ『天国大魔境』もそういう昨今の作品群によくみられる要素をごった煮した作品なんですが、まず何といっても絵がいい、あったかい。
自分的には萌えキャラの絵を全く受け付けることができません。地方で町おこしに電車の側面に萌えキャラ描いてるの見ると嫌悪感じる人が結構いる、もしかするとそういう人のほうが多数派かもしれないと偉い立場の人は了解しといてほしいとこです。それとは別に相当に写実的なタッチで理想の女性像を緻密に描写する作家もいるのですが、それはそれで読んでて疲れるんですよね。


この作品の キルコことおねえちゃん。

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マンガのいい女って、「こういうのでいいんだよ!」です。

魅力的なキャラって、外見以上に(しょせん、絵なんですから)作品の中で他のキャラから正しく愛されていることが大切で。愛する方のキャラの気持ちに同調して読むことでヒロインの魅力が増量しますし、もちろん作者の思い入れも重要です。
外見に関しては江口寿史の『ストップ!ひばり君』のパロディです。

ストップ!!ひばりくん!コンプリート・エディション 第3巻

ほっぺのふくらみ具合、髪型。そしてなにより男なのか女なのかよくわからないキャラ設定、だからこその男の子と大差ない小さめのお尻。
ジーパンの皴の描写もよく似てる。

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その、ひばり君が 大友克洋的な背景の中にうまくなじんでいる。 
遠目にひき気味の構図のコマは本当にきれいに描かれていて、よくできたミニチュアのセットを眺めているみたいな気になります。何時間もその世界を眺め、そしてその世界に入り込みたいという妄想を掻き立てられます。

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『天国大魔境』に藤子Fの作風を感じる人が多いのもそういうところなんでしょうか?『ドラえもん』と『キテレツ大百科』ってホントにミニチュア世界への愛に満ちてましたから。

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そして私が知らないだけで、ナルトとかワンピースとかの要素もご玉銭されているんでしょうか?ま、いろいろあるんだとは思います。

 

 

 


私が、ここでちょっとばかり語りたいのは、村上春樹Perfumeの要素について

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)


『天国大魔境』というタイトル自体が、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』とそっくりじゃないですか、そして映し鏡のような二つの世界の物語が並行して語られ、ときには象徴的なイメージが二つの平行世界の結節点になり二つの世界を束ねつつ物語を進化させていく手法に関しては村上春樹をうまく消化しているようです。
そして、村上春樹って 並行する物語のシンクロ作品をその後も『海辺のカフカ』『1Q84』と書き続け、今後ノーベル賞とるとしたらこのどれかが対象作品になるのだろうなと思うのですが、

海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)

1Q84 1-3巻セット


で、とても興味深いのは、『天国大魔境』のアマゾンの書評を読んでみますと、二つの物語の平行シンクロを面白くないと感じる読者がかなりいるということです。自分なんかは、村上春樹の手法をうまく消化したなとしか思わないのですがね。そして村上春樹の作品がどのように物語を進めていくかについては読者の立場として慣れていますから、この作品『天国大魔境』のラストの落としどころもたぶん…なんじゃないか?と予想しながら楽しく読めるのです。

これって 村上春樹のパクリなんじゃないと思われるかもしれませんが、パクリってあくまで、自分が発明してないものを自分の発明と強弁する事じゃないですか?そうではなくて、こういうのってオマージュというかパロディで、他人の作品のスピンオフを勝手に書いちゃうってそういうたぐいのものだと思われます。

大昔の文芸作品、ギリシャ神話も西遊記も複数の作者がそれぞれ勝手にスピンオフ描いたものが集積されたもんじゃないですか?おそらく聖書もそういうものです。それが現代に近づくにつれ一つの作品の作者は一人という風に限定されてきたのですけれど、これに関してはいい点もあり悪い点もありという感じです。

また、詩歌で言うときの本歌取りというやつは、
「私の拙作を読むときは李白や孟浩然の超有名作品をまず念頭に置いてみてください。そして私の詩はそれら詩聖の作品世界の片隅にあるのです」ということなんですが、こんなんでしたら、これ私のオリジナルではないです、パロディの本歌取りなんですってことを作品中ではっきり触れておいたほうがいいんですよね。だって読者が村上春樹の作品イメージしながら読むほうがこの作品ってよくわかるんですから。事実私は『天国大魔境』がものすごく楽しめるのに、村上春樹へのオマージュぶりが分からない読者はこれを傑作と受け止めることができないんですよね。

 

では、この作品が 村上春樹の小説に対してなんら上回る点がないただの本歌取りかというと、実のところそうではないんですね。
小説とマンガって違いますよね?
小説家が三十人のキャラクターを提示したとき、似たような描写は多々あるかもしれませんが、それらの三十人がどんな感じか風貌かはあくまで読者が脳内で妄想するものです。それに読者は、本当のことを言うと登場人物の顔や体つきを事細かに妄想したりはしないものです。ぼんやりと漠然としたイメージの妄想にすぎないのが普通です。
それに対し、マンガって直に絵にかいて三十人分を提示しないといけないですから、どうしてもあのキャラとこのキャラは顔が似ているという事態が発生します。漫画家がかき分けられるキャラの種類ってそんなに多くないですよね、どんなに多くても三十以下、普通の場合なら十程度と私は考えます。最も一つの作品内の主要キャラの数は30もないのが普通ですから、この問題、つまり作者がキャラを無尽蔵にかき分けることができない、十通りくらいしかかき分けられないことの問題は、前作と次作を比べて読んだときに表面化します。

北斗の拳 1巻

ケンシロウは、暗い性格だったので、描いてる作者もなんか気が滅入るから、次の作品では明るい主人公にしたいという思いがあったんだろうと思います。

花の慶次 ―雲のかなたに―  2巻


で、読者の立場からすると、ケンシロウパラレルワールドに転生して世紀末世界で積んだ功徳からもっと明るい人格で無邪気に生きることのできる戦国末期に転生したと妄想して読んでみると、
あほらしい仮定なんですけれども、読者の立場としては納得できるんですよね。
前作と次作で似たような風貌のキャラクターって前作の因縁に次作で対処しているように思われてしまうんです。それは作者が前作を踏まえて次作を描くのですから、どうしても前作で解決できなかった問題が少々形を変えて次作に登場に、似た様なキャラの肩に水子例のようにのしかかるわけです。
つまり マンガのキャラは 作品ごとに輪廻転生しているわけです。

 

押見修三の作品群に出てくるΩ髪型のキャラ。 常に主人公に苦行を強いる。

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これは小説のキャラクターも本当は同じなのでしょう。村上春樹に出てくる美少女キャラとか、主人公の恋人キャラもマンガ化したら似たようになるのだとは思いますが、幸い小説はそのような様子を直接見せられることはありませんので、マンガの場合ほどはこの「輪廻転生」の問題は表面化しません。ただ、一人の作者が特定の問題を作品の枠を超えて追及し続ける姿がかっこいいとか文豪っぽいとか言われるだけです。

で、普通の場合ですと、今の作品が生きているキャラが次の作品で輪廻転生し、その二つの作品はパラレルワールドであるということなのですが、
村上春樹的なパラレルワールドの同時進行の物語ですと、「世界の終わり」に生きているキャラと「ハードボイルドワンダーランド」に生きているキャラって対応しているのですよね。普通の場合ですとこのキャラの近似は前作次作と時間差を置いているのですが、パラレルシンクロ型の物語ですと、キャラの因果を背負うキャラが同時に別のキャラとしパラレルワールドに存在しているわけです。
『天国大魔境』って、小説の枠組みを漫画に移行したときに、この問題にいやおうなしに向き合うことになってしまった作品といえるのではないでしょうか?
天国の世界にいる人たちとよく似た人たちが大魔境の世界にもいます

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非常に興味深いのは これら天国世界と大魔境世界の似た感じの人物がそんなにきっちりと対応していないという点です。
一番目立つところでは、マルに対応するトキオですが、トキオって実は女の体なんですよね。両性具有要素ってマルではなくキルコのほうじゃないですか?二つの世界って合わせ鏡のようにきっちり対応してるのではなくおそらく同じ要素があってもそれら要素がキャラの枠を外れてバラバラにされ再構成されてるという具合に、絶妙にずれてるんですよ。
この二つの世界が出会うとき、いったいどのようなことが起こるのだろう?その点に着目して今後を読み進めたいと思います。


ホテル王に対応するキャラがアンズで 天国側ではかなり主要人物なのに今後ホテル王がどんどん物語に絡んでくるとも思われないので、この作品は単行本七巻程度を想定して、すでにラストの落ちも一応用意していると私は勘ぐっております。

 

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マルくんは人食いをヒルコって呼んでますが、ヒルコって古事記に出てくる奇形児のことじゃないですか?おそらく天国の赤ん坊のことで、天国の赤ん坊が大魔境にやってきて人を食ってる らしいことももう作品の中で言っちゃってますから、この作品、むちゃな引き伸ばししなかったら、あとの残りはそんなに長くないはずです。この手のマンガって、人気が出て長尺になっていく過程で敵や敵の組織の強さがひたすらインフレしていって物語が破綻していくのが普通なので、『天国大魔境』がこじんまりとしたまんま終了するというのもアリだよなと思います。

そういやぁ、ホテル王もすでにヒルコであることが示唆されています。

ホテル王の天国における対応キャラのアンズが 危篤状態の多羅尾のために踊るシーン。
これは古事記の天岩戸伝説のパロディであり、この天国の母体であるらしい高原学園というネーミングも 高天が原、古事記で言うところの神々のいる天国から来ているらしい。

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おそらくPerfumeへのオマージュ
キルコって竹早桐子という姉の体に、竹早春希という弟の脳が移植されているのですが、


竹早桐子って、きゃりーぱみゅぱみゅの本名の竹村桐子とそっくりじゃないですか?
で、姉弟の合成人間になる前の姉の髪型って、
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これですから、たぶん、これだとPerfumeののっちさんですよね。

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きゃりーぱみゅぱみゅPerfumeって楽曲提供してるのどちらも中田ヤスタカって人じゃないですか?
ですから、こんな風に勘繰る人が日本中に何千人もいるんじゃないかってのは仕方ないことと思われます。
で、パフュームって アイドルに楽曲提供している違和感をパラレルワールドに住んでいる男の子と女の子の物語って風に提示した作品がものすごく多くて、パラレルワールドのうちの一つは崩壊した世界で、もう一つの世界は安全だけど病院みたいな世界。
世界観が『天国大魔境』とそっくりなんですよね


ハルキ名前もそうなんですが、 竹早桐子という名前を作品にあえてねじ込んできたということは、
この作品世界は 大友克洋江口寿史、それに村上春樹の世界だけでなくパフュームとかの世界ともつながっていると考えといたほうがよさそうです。

写真を加工したリアルすぎる背景ではなく、丁寧に細かく描きこんだ世界、その中にうまく当てはまった魅力的なキャラ。ストーリーを追っかけるというより、その世界をずっとながめ、できるなら入り込んでいってしまいたい。

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そして入り込んでいくと、マンガで描ききれていない街角の空白の向こうには村上春樹江口寿史のキャラが住んでいたり、その隣の町内の広場ではパフュームのライブが行われていたりするのかもしれないなんて妄想してみました。