「失礼ですけど、お二人は親子ですよね。だって耳の形がまるっきり同じですから」

相席で向かいに座った若者と中年に向かってそう言ったら、親子であることを認めつつも、耳の形が同じだから親子だという指摘は初めて受けたと少々面食らっていた。

親爺の方はぼさぼさで薄くなった髪で分厚い眼鏡をかけていてさえない外見、息子の方は一応年齢相応の小ざっぱりした外見で、あんまり似ていないと当人も言っていたし、

わたしから見ても、その二人は親子にしてはあんまり似ていない方だと思う、耳の形をのぞいては。

 

 

子供の顔を父親似とか母親似とか言うけれども、DNAは五分五分でブレンドされているのだから、どちらかの親に一方的に似てるなんてことは理屈的にあり得ない。

ありえないのだが、そのありえなさを説明するための理屈が一応存在する。

 

人の顔をわたしたちがどう認識してるかというと、目と口、それプラス鼻に意識の焦点が合わされ、それ以外の箇所は意識の焦点から外れた背景として認識される。

わたしたちのマインドは、人の顔の部位に対し目鼻口をメジャーリーグ、その他をマイナーリーグと勝手に差別化している。尤もこの勝手な差別化に対しても妥当な理屈が存在する。皮膚の張りは体調や年齢で容易に変化するし、輪郭もやせたり太ったりでかなり変化して見える。髪の毛眉毛は簡単に変化させることができるのだから、

わたしたちは、目鼻口というメジャーな部位を手掛かりに人の顔を認識するのだが、

意外に盲点になっているのが耳である。

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しかしながら、耳は非常に複雑な線が織り込まれたもので、個体識別に適した非常に個性のはっきりしたものである。耳に着目して血縁関係を推測することなど朝飯前。

ただし、目鼻口のメジャーリーグから離れた位置にあるので無視されやすい、背景化されやすいというの理由だろうか?

そして、わたしたちは目耳鼻のメジャーリーグに対して美の基準をそれなりに持ってるのだが、耳に対しては美しさの基準、どんな耳が美人にふさわしいのかという基準を持っていないらしい。

 

 

『教科書にないッ』岡田和人  血縁関係を疑われるレベルの耳の相似。

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