このブログは、本来、

映画を見ることについて書いたものであり、画面の流れがどうだの、BGMがどうだの、コップの色と服の色がどうだの・・・ということに留意して画面を見ない限り、

本当のところは自分の心で補正されたものを見ているだけで、他人の撮った映画他人の演じた映画他人が金を出した映画を理解することはできない、

そういう主張を繰り返しているのですが、

 

自分の興味関心偏見に引きずられるままにずうずうしい見方をすることには、それなりの楽しさがあります。

そして、早送りや巻き戻しという機能を使ったとしても、映画って自分のリズムで

読み飛ばすこと、つまりマンガを読んでいるときに自分の読みたいコマだけ読んであとは目の端っこで眺めるだけ、そんな極端に個人的な偏った楽しみ方ってなかなかできるもんじゃありません。

そういうことからすると、マンガを読み飛ばすこと、その際の自分の興味関心偏見に引きずられる度合いというのは相当なもんなのだろうという気がしますが、

昨晩二時間半程度で『惡の華』を読み飛ばしました。面白かったです。

 

そして、

再読を始めました。そして再読中に気が付いたのですが、

一巻の36ページ目。テンパって自転車漕いでる主人公が土手の脇に座っている仲村さんに出くわし、話しかけられるシーン。

一回目では、中村さんが何者なのか読者にはほとんど分かりませんから、かなり不気味であり、その六ページ後で彼女が主人公の体操着窃盗を知っていることを打ち明けることでオチが付いたように感じて納得してしまうのですが、

再読すると、読者はもう仲村さんがどんな人か既に分かっているわけですから、その「オチ」に至る前の中村さんの一コマ一コマの表情にゆがんでるけどピュアな恋心が読み取れて読み取れて仕方がない。

 

ま、こういう再読すべきと、このマンガの最終回が命令しているようなもんなんですが。

上手だなぁと思いました。