最近ネット検索が機能しなくなった、

検索したときに出てくるのは商売がらみのものばかり、

まとめサイトnaver、yahoo知恵袋などゴミみたいなものばかりが上位につける、

という意見を読んだんです。

そうそうそうだよね、と思いつつ、

 

ここしばらく思ってきたこと、

「空気読め」って言い方に、不快感持つ日本人って実は多数派なんじゃないか?

「空気読め」とか実際に言っちゃう人って、まともな大人としては知的に問題あるだろ?とわたしは思ってるし、世間全般としてもそうだろ?と思って、

そういう調査結果ってないものかしらんとネット検索したんですが、

ネットで見る限りにおいては、「空気読め」って正しいものと思われているっぽいです。

子供のいじめの現場で「空気読め」って言ってるならともかく、大人が社会人のたしなみみたいな意味で「空気読め」とか言ってるのかぁと思うと、悪夢だわな。

 

で、「空気読め」について否定的な意見で、これは正論だろ、ってのを探してみたんですが、あんまり見つかりません。むしろ「空気読めないやつは病気」みたいな意見ばかりでした。

 

そして、そういう意見を読んでいてわかってきたことなんですが、

「空気読め」という言い方って、使っている人達の中でも意味がぶれていて、

「人の顔色を読む」つまり表情や視線から心理を読み取るという意味もあれば、

集団内での力関係を読み取り、そこで自分の保身のために論理捻じ曲げてもうまく立ち回ろうとすること、という、わたしが感じる「空気読め」と同じような解釈も混在しています。

言葉以外の情報から相手の心理を読み解く能力って、ほぼ無条件で肯定されるべきものなのですが、

こすい保身から生ずる周囲とのいびつな距離の取り方って、あまり褒められた技術ではないだろうというか、

こういう種類の違うものを一緒くたにして「空気読め」とか言ってる人たちとは、まあ、距離置いて付き合うのが正しいわなというか、

 

ついでに言うと、「空気」って目に見えないものじゃないですか。しかも字を読むように左脳で逐一読む類のもんでもないんでしょう?最初から言い回しとして非論理的で破たんしてるわけです。

 

他者の心理を目の動き、姿勢から読み取るにはちゃんとセオリーがあるわけだし、

集団内での力関係をそれぞれの構成員の距離、まあい、姿勢の同調率から読み取るのもセオリーがあるわけです。

「空気を読め」という人たちは、これら本来読み取るべき対象を明確にしていないらしいから「空気」という透明なものを選んだわけでしょう、

たぶん、何を読んでるのか読んでないのか自分でもわかっていないはず。

本当のことを言うと、言葉の外のメッセージをやり取りするノンバーバルコミュニケーションについて下手な部類の人たちが好むのが「空気読め」という言い草と私は考えます。

 

 

そんな中で、ネット上で見つけた「空気読め」に対する意見として、わたしがごもっともと思うものを一つだけ引用。

欧米では「空気読めよ」という便利で曖昧な言葉がないため、例えば大勢が集まるパーティーでいきなり怒りだし険悪なムードにする人に対しては、「その話は後でしよう」と切り返したり、「何でそのことで今怒り出すんだ!」と逆ギレしたり、「今日はせっかくみんな集まったから楽しく過ごしたいんだ」と言って自分の気持ちを伝えたりする。

つまり、「空気読めよ」という批判はどれも他のフレーズに言い換えることができるわけだ。「空気読め」と言って個人を批判すれば、自分の考えや意向、思っていることを明確に言葉にする必要がないので、話者のコミュニケーションの怠慢とも言えなくはない。自分を含めた“周りの意向”を非常に曖昧な「空気」という言葉で表現し、空気にそぐわない個人へ責任転嫁しているだけの話である。「空気読めよ」と言ってしまえば、少数派である個人を批難することで話が終わってしまい、そこから先のコミュニケーションが生まれない。だいたい「空気読めよ」と注意すると「自分は多数派でお前は少数派なんだ」というニュアンスがあるが、自分が多数派であるという考え自体が思い込みだったりもする。

 

今現在、ネット検索が機能しにくくなっていることから考えて、

さっき私が目の当たりにした、日本人の「空気読め」に対する肯定感って、

ほんとのところどうなのか、実は数年前に否定された時代遅れなものなのかもしれない、でもそれを確かめるすべもわたしには別にないのですけれど、

でも、

押見修造のマンガとか毎日読んでる人の中だったら、

「『空気読め』って、日本の社会病理だよね」と思ってる人って多数派じゃないでしょうか?

押見修造のマンガの中では「空気読め」って全否定な気がするんですが、どうでしょう?

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というか、マンガの中のヒーロー、ヒロインって必ずどこかで空気切り裂くようなことするからヒーローやヒロインになれるわけで、

マンガとか読んで、あこがれて、その憧れを基に身を律したりするような人って

やはり少数なのでしょうか?

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志乃ちゃんは自分の名前が言えない』って、『惡の華』の教室を落書きでいっぱいにする回の二年後くらいに描かれたマンガですが、

墨汁のタッチをもって強烈な自己主張を表現するって手法は共通しています。