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だんだん自分の中で、分かった!という実感がじわじわ拡大してきました。
仮にこういうことにしておきます。
マンガのコマ
- 主要キャラを描いたコマ
- 主要キャラの見ているものコマ
- 場面・時間を示すト書き代わりのコマ
- それ以外のコマ
同じマンガを読んだのに、人によって解釈が異なってしまう。
それってどこから来るのか、について皆さんどう思っているんでしょう?
どうやら、上にあげたマンガのコマの分類って、明確な区別のできないものが多く、1と2を兼任するもの、2と3を兼任するもの等があり、そして、本当のところをいうと、
2の主要キャラのPOVって、どこまではっきりしているのかは何とも言えない場合が多い。
まあ、そこを入り口にして読者の誤読とか曲解が入り込むんだろうな、という気がします。
このページを構成する四つのコマですけど、
すべてが①の主要キャラを描いたコマです。
が、この二人の主要キャラどうしには、それぞれ互いが見えているのか?
これらのコマは②の要素をそれぞれ持っているのか?ということですが、
こういう一人のキャラの背中越しの光景って、つまり、
読者がみている光景と、志乃ちゃんがみている光景はほぼ同じということを示すためのものです。
そして、それに続く三つのコマ、
このコマが描かれたとおりに、志乃ちゃんの姿は菊池に、菊池の姿は志乃ちゃんに見えているらしい事が分かります。
つまり、このページでは読者が持っている情報量と登場キャラが持っている情報量にずれはなく一致しています。
それに対し、他のページ
キャラの見ているものと読者の見ているものが一致していると保証するための背中越しのコマ。
逆にこういう使い方もあるのですね。
志乃ちゃんは菊地を見てないし、菊池には志乃ちゃんの伏せた目が見えない。
だから、互いの横顔を二つ並べたコマって、
登場キャラと読者の間で情報のずれが生ずることになります。
わたしたちは、二人の表情から二人の気持ちを推測できるかもしれませんが、
二人はわたしたちほどにはそれができていない。
志乃ちゃんは目を伏せていますから、菊地に見えるのは、彼女が握ったままで口をつけられることなく溶けていく三段重ねのアイスクリームのみ
と解釈すべきなのか、どうなのかは迷うところです。
菊地の位置からの視界はこう見えるはずなのでしょうけれど、そんな繊細で観察力のあるキャラ設定でしたっけ?
そして前ページでは、
この構図では、登場キャラたちには手前の女性が三段重ねのアイスを二つ持っている。
恐らく三段重ねのアイスって、人気商品らしいと読者は推測できます。
そういう人気商品をわざわざ志乃ちゃんにおごってくれる菊地の在り方に、彼なりの気配りを感じるのはそれほど難しいことではないでしょ?
志乃ちゃんからは菊地はこう見えるはずなのですが、
彼女見てないんですよね。
そして、ここにも登場キャラと読者の間に資格情報量のずれが生じますし、
志乃ちゃんのこの目も菊地には見えていません。
だからどうしたんだ?と思われるかもしれませんが、
この登場キャラと読者の間での情報量のずれって、映画においても当然あるのですけれど、
映画の場合と違ってマンガの場合は、登場キャラがどこ見てるのか何見てるのかってのが、いくつものコマを並列して並べられるだけに、よりはっきりと認識されることになります。
マンガは映画と比べていくつも不利な条件を抱える表現ですけれども、マンガなりの特性を生かした表現にこだわると、映画ではまねのできないものになり得るのですよね。
押見修造に特徴的な心理描写ってこういうところにもあるのだと思われます。