『いびつ』は、生身の女の子と人形の区別が曖昧であることにより初めて成り立つ繊細なバランス感覚の物語なのですが、

 

人形は人形なのですから、話したり笑ったりしてはアウトです。にもかかわらず、熱心な読者は、人形の無表情の中からも感情を嗅ぎとってしまうのですが、

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それでもいくら何でも、柿口啓吾がゆるキャラ化したときに、人形も同調してゆるキャラ化するなんてことはさすがにご法度でしょう。

 

そして、人形のモデルである森高円も、その人形の在り方を踏まえて、柿口啓吾に同調してゆるキャラ化したりはしません。

相羽英男と一緒にゆるキャラ化するのが常態の早華胡桃との大きな違いは、この点です。

 

『すんドめ』 二人仲良くゆるキャラ化。その同調力が胡桃のノリの良さとやさしさの表現。

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『いびつ』 女の子と男の落差が笑いの源泉。

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柿口啓吾に合わせて森高円はゆるキャラ化したりはしないのが基本。

二人が違う世界に生きているということ、または、生身の人間と人形の差異を示唆しているかのよう。

二人が互いにシリアスな画風で一つのコマに収まることはたぶんないんじゃないでしょうか。シリアスな表情で対話する際には、「切り返し」を用いて描かれてます。

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ツンデレという言葉も最近目にしなくなりましたが、こういう二人の距離感の表現がツンだとすると、

デレの部分もあるわけで、

柿口啓吾のゆるキャラぶりにほんの少しだけ同調して、ほんの少しだけゆるくなってる森高円の絵柄が、見ていてかわいい。

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この手のコマは、物語後半になるとぽつぽつと増えてきます。

 

また、円が啓吾を殴るお約束のコマは、物語の前提としての二人の距離感が一瞬の間崩れる瞬間であり、円が啓吾を殴ることと二人がゆるキャラ化で同調することには親和性が高い。

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わたしは、『いびつ』の末期的なファンとして、キンドル版の『いびつ』を全巻そろえ、それを何度も繰り返し読み、さらには気に入ったコマのキャプチャーをしてスライドショーで楽しむまでになったのですが、最初に重点的に円が啓吾を殴るシーンばかりあつめました。これらシーンの魅力というのはあとになって考えてみると以上に述べたような理由から来ます。

 

 

最初の一話で、円が啓吾を殴ることの航程的な意味はすでに表明されています。

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扉を押し破るように、

円は啓吾を殴って、

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大切な啓吾だけの世界に、円は入っていきます。

 

こういう点をふまえて、次作の『いっツー』を『いびつ』のテーマを別の物語を用いて再考したものとして読んでみると、

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女の子からの暴力がよりマイルドで現実的であり、

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 かすかに心地よいユルめの画の中で、男の子の方も女の子に対してそれなりにやり返している。

このコマの中に、時間を止めたくなるような幸せがこもっていることが分かるようになります。

 

『いっツー』は『すんドめ』や『いびつ』ほど評価も人気も高くないようですが、前作と同じものを期待するから肩透かしを食らうわけで、

このコマが示すような『いびつ』では描かれることのなかったより現実的な幸福感が『いっツー』の最良の部分のようです。